小橋賢児(こはしけんじ)さんは8歳で芸能界入りし、10代後半になると1994年『人間・失格〜たとえばぼくが死んだら』、1996年『若葉のころ』、1998年『青の時代』と代表作品に出演し、2001年には朝ドラ『ちゅらさん』でヒロインの相手役に選ばれ、着実に俳優としてのキャリアを築いていきました。
そんな人気絶頂期の27歳の時に、突然俳優業を休止しテレビの前から姿を消した小橋賢児さん。
俳優として過ごす20代から感じていた絶望感や、病魔に襲われつらかった時期からどのようにして一筋の光を見出して、セカンドキャリアを見つけたのか!?詳しくまとめていきます。
小橋賢児の現在はクリエイティブディレクター‼
小橋賢児(こはしけんじ)さんの現在は、クリエイティブディレクター、音楽イベントプロデューサーとして活躍されています。
2016年7月には自身が代表取締役を務める「LeaR(リアル)株式会社」を設立し、2021年7月には「The Human Miracle(ヒューマンミラクル)株式会社」に社名を変更しています。
手掛けた作品
小橋賢児さんは、国内外の数多くの大規模イベントだけでなく、都市開発や街づくりのための功績も残しているクリエイティブディレクターです。
2021年には、東京2020パラリンピック競技大会閉会式のショーディレクターを務めました。現在は、2025年4月に開催される日本国際博覧会(大阪・関西万博)の催事企画プロデューサーを務めるなど精力的に活動されています。
今までに出掛けてこられた作品をまとめました!
東京パラリンピック閉会式
未来型花火エンターテインメント「スターアイランド(STAR ISLAND)」
ULTRA JAPAN(日本最大級の都市型ダンスミュージックフェス)
STAR ISLAND(世界を魅了してきた日本発の “未来型花火エンターテインメント)
夜空のスペクタルショーCONTACT
メタバース都市「Oasis TOKYO」
多彩な才能を発揮する小橋さんのこれからが楽しみです!
俳優業をしていた頃は絶望感でいっぱいだった
小橋賢児(こはしけんじ)さんは8歳で芸能界入りし、10代後半はその当時人気絶頂だったアイドルのKinKi Kidsとの共演作品『人間・失格~たとえばぼくが死んだら』、『若葉のころ』、『青の時代』で難しい役どころを見事に演じ、確実に俳優としてのキャリアを築いてきました!
俳優として人気絶頂期に活動休止!!
小橋賢児さんは、俳優として活躍していた20歳前後の頃から『生きながらに死んでいるような』状態に陥っていたということです。
「俳優を『しなければならない(have to)』という感覚があり苦しかった。ロボットのように生きて、これが自分の人生なのか。」と思うと怖くなった。
そこで俳優活動を休止し、自分の心を動かす旅に出る決心をしました!
小橋賢児さんは、人気絶頂期に世間からの評価と相反して、自分の心の中は俳優を『やらされてる』という感覚が大きかったそうです。「こんなの俺じゃない」と嘘の自分を演じ続けることが苦しくて、どんどん心が壊れていったということです。
小橋さんは、『しなければならない(have to)』ではなく『want to(したい)』と思う気持ちが大事だと教えてくれています。
ドン底からどのようにして這い上がったのか!?
アメリカへ単身渡米
『生きながらに死んでいるような』状態から逃れるために、小橋さんはケータイを完全にOFFにして頭は丸坊主にし、アメリカへ単身渡米しました!車でアメリカ横断したときに、マイアミで偶然『ULTRA MUSIC FESTIVAL』が開催されていて感銘を受けた小橋さんは、その後も色々な国の色々なフェスを巡って旅をしました!
ドン底から這い上がるために、まずは環境を変えようと行動に移したところがよかったのですね!!
マイアミで偶然出会ったフェス!!
たまたま行った旅先で出会ったフェスが転換期になったという事ですので、小橋さんの思い切った行動力が功を奏したわけですね!
自然の中での運動
色んな国を旅した小橋さんは、貯金は底をつき、『肝機能障害』という病魔に襲われ、仕事もままならない状態でどのように心身ともに健康を取り戻していったのでしょうか。
「病気を理由に、すべてを諦めてしまうこともできたのかもしれません。ただ一方で、『病気なんだから、もう一回ゼロからやり直せばいい』と開き直ることもできるわけで、そのときの僕は後者を選んだ。まずは体を治そうと思い、知人のトレーナーからの『自然に触れた方がいい』との勧めもあり、都内から茅ヶ崎に引っ越してライフセービングやトレイルランのトレーニングをして過ごしました。毎日、自然のなかで泳ぎ、走った結果、30歳を迎える頃には人生でいちばん健康で、いちばんいい体になっていました」
引用元:『NEWSポストセブン』/2024.5.31
小橋さんは、自然の中でライフセービングやトレイルランニングのトレーニングをすることによって、心身ともに健康を取り戻せたということです。
自分の誕生日パーティーの企画
小橋さんは自身の30歳のバースデーパーティーを自分で企画して、今までお世話になった方々を招待し、おもてなしをしようと計画したことも現在のキャリアに繋がったということです。
『誕生日にお世話になった方々をおもてなしする会』を催そうと考えました。今、思えばこれが僕のイベントプロデュースの始まりでした」
引用元:『エンカウント』
『場所を貸してください』と言ったものの、ビックリするほど高かったんです。そこからイベント関係の知人に相談しました。つまらないものではダメだし、ちゃんとイベントとして成立するものにしたいと思い、合羽橋に行って装飾品を探したりもしました。結局、200人くらいの人が集まってくれて、会はとても盛り上がりました。それで作るノウハウ、仲間ができました。そこから試行錯誤をしていくうちに、企業からイベント演出も頼まれるようになりました。
すべての経費を自分で払うことは出来なかったため、バースデーパーティーを有料のイベントにして入場料に見合うだけの中身にすべく、試行錯誤の中手掛けて結果200人ほどの方々と盛り上がることができたようです。
苦悩の中から本当の自分らしさを見つけ出せたのは、「考える前にまずは行動してみる!」ということが分かりました!
これからも小橋賢児さんのご活躍を期待しています。
小橋賢児のプロフィール
- 名前:小橋賢児(こはしけんじ)
- 生年月日:1979年8月19日(現時点44歳)
- 血液型:A型
- 職業:クリエイティブディレクター、音楽イベントプロデューサー
- 趣味:サーフィン、旅、メディテーション(瞑想)・呼吸法
- 家族:妻、息子
コメント